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福岡地方裁判所小倉支部 昭和45年(ワ)30号 判決 1972年11月24日

原告

伊藤稔

右訴訟代理人

田川章次

被告

門司港運株式会社

右代表者

野畑彦蔵

右訴訟代理人

西村金十郎

主文

一、被告は、原告に対し、金二〇八万三、二〇三円およびこれに対する昭和四五年二月二六日以降支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、その三分の一を原告の、三分の二を被告の、それぞれ負担とする。

四、この判決の第一項は、かりに執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告

「被告は原告に対し、金七二六万五、六六四円およびこれに対する昭和四五年二月二六日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに仮執行の宣言を求める。<後略>

理由

一、当事者および本件事故の発生

(一)  原告が登録日雇港湾労働者であり、被告が船舶の揚荷・積荷を業とする会社であること、ならびに、原告がその主張の日時場所において被告に雇傭され豆類の揚荷作業に就労中本件転落事故が発生し左肘関節脱臼骨折の傷害を負つたこと自体は、当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右争いのない事実と、<証拠>とを総合すると、本件事故の発生状況は次のとおりと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1、原告は、昭和四二年一二月八日被告会社に雇傭され北九州市門司区の同社港町作業所に配属されて、同僚一一名とともに門司港に係留中の北海道航路貨物船梅園丸(排水量999.67トン)の第二番船倉内において麻袋り豆類(以下単に豆類ともいう)の揚荷作業に従事したが、当初原告が作業を開始した時点においては、右船倉内の艫側には本州製紙用の巻取用紙(直径約1.03メートルの円筒形状のもの三三一梱包、容積約二五五立方フィート)が舷側に平行する形で段積みされており、原告らが揚荷すべき豆類は右巻取用紙に接してほぼそれと同じ高さ位に舳先側に積荷されていた。

2、右船倉の深さは少くとも4.5メートル以上と認められる、本件当時甲板から船倉内部に入るには別紙見取図表示の①の個所に二番倉昇降タラップ(舷梯)が設置されており、原告らは午前の作業開始時には右タラップを利用して前記段積みされた巻取用紙(以下単に用紙ともいう)の上面に降り立ち、用紙の上を舳先側へ歩行して前記豆類のある作業場へ到達し、右用紙に接する豆類の上段部分から順次揚荷したが、午前の作業終了時には右用紙に接する船倉床(以下単に船底という)部分が露出する程度にまで揚荷作業が進捗したため、右用紙の段積みと原告の作業場所(船倉中央部の船底)とに落差を生ずるに至り、その落差、すなわち船底から用紙の天端までの高さは、正確には断定しがたいが、成人が手を一ぱいに挙げて背伸びしてもなお届かない程度少なくとも二メートル以上はあつたものと認められる。

3、当日の天候はみぞれ模様であり、原告らの作業用採光の目的で二番船倉のハッチの一部を開放し、そのため用紙が濡れるおそれがあつたので、原告ら作業員は防湿のため右用紙の端(舳先側)にわらむしろを被覆した後、昼食のため原告は船底から右用紙の端を挙じ登り、用紙の上面を歩行したうえ前記タラップを伝つて甲板上に登り、船倉外へ出た。

4、昼食後午後一時五分頃、原告は午後の作業に就労するため前記タラップより船倉内に入り、数名の同僚作業員の最後尾について用紙の上面を歩き、午前の退去時とは逆に用紙の天端から船底に降りようとして、腰をかがめて用紙の上に覆われていたわらむしろの上から用紙を左手で掴み、前面を向いたまま(用紙を背にして)足を延ばして右手でさらに用紙を掴もうとした瞬間、手が滑つたかむしろが滑つたか明らかでないが、左手の用紙に対する把持を失い船底に転落し、その衝撃により前記の傷害を負つた。

二、債務不履行の有無

原告は、港湾労働者を使用する被告会社としては原告を就労させるにつきその作業現場である梅園丸の船倉船底部に安全に到達することのできるタラップなどの通行設置を設けるべき労働契約上の労働者の安全衛生確保義務があるにもかかわらず、被告がこれを怠つたため本件転落事故が惹起されたのであるから、本件事故は被告の右債務不履行に起因すると主張し、被告は本件作業現場の状況からして被告に右通行設備を設けるべき義務はない旨主張するので、この点について判断する。

(一)  使用者がいわゆる労働災害防止のため必要な措置を講ずる一般的危害防止義務を負うことは、昭和四七年法律五七号による改正前の労働基準法四二条の規定するところ、右法条の趣旨を受けて特に港湾労働者の船倉内における貨物取扱作業につき使用者の危害防止措置として、労働安全衛生規則一六四条は「使用者は、ばく露甲板の上面から船倉の底までの深さが1.5メートルをこえる船倉の内部において荷の取扱いの作業を行なう場合には、当該作業に従事する労働者が当該甲板と当該船倉との間を安全に通行するための設備を設けなければならない。ただし、安全に通行するための設備が船舶に設けられている場合には、この限りでない。前項の作業に従事する労働者は、ばく露甲板と船倉との間を通行する場合には、同項の通行するための設備を使用しなければならない。」と規定する。右規定の趣旨からも窺えるように、使用者は労働者との雇傭契約上の義務として右契約関係特有の労働災害による危険に対して労働者をして安全に就労せしめるべき安全保証義務を負うものと解するのが相当であり、特に本件原被告間の雇傭契約についてみると、原告が梅園丸船倉内において貨物の揚荷作業に従事するに際し、前認定のとおり右船倉の深さは少くとも四、五メートルを超えるから、被告には原告ら作業員が船底の作業場所に安全に到達することのできる通行設備の設置義務があることは明らかである。

(二)  しかして、原告が転落した用紙の天端から船底に通ずるタラップなどの通行設備がなかつたこと、および船倉内壁に原告主張の形状の、いわゆるサイドスパーリングが存在したことは当事者間に争いがない。被告は右サイドスパーリングが船壁に取付けてあり、これに原告が手足をかけて階段代用として慎重に用紙の上から船底に伝い降りることが可能であり、かつ、また原告の港湾労働者としての経験からすれば被告が右のように期待するのも相当であるから、特に被告においてタラップ等の通行設備を設置する義務はなく、右通行設備をしなかつたことについて帰責事由はない旨主張する。しかしながら、前掲各証拠および弁論の全趣旨によると、船倉内壁に取付けてあるサイドスパーリングは本来荷崩れ防止を目的とするものであり、到底これを目して労働者が「安全に通行するための設備」ということはできないし、また被告主張どおりとすれば、二番船倉に既に設置されているタラップの存在自体も不必要になりかねないので合理的でない。

結局、被告には本件作業現場の状況下にあつては、使用者として作業員が用紙の天端から作業現場へ到達するために可搬用タラップあるいは繩梯子など梯子類の通行設備を設けるべき労働契約上の安全保証義務があると解すべきである。しかして、前掲各証拠によると、原告の同僚作業員の中には右サイドスパーリングを利用して安全に昇降した者もいたこと、原告が昭和三五年頃以来港湾労働者として業務に従事し港湾作業に相当の経験を有していたこと、および被告会社においてはかねてから労働災害予防のため被用者に対し安全教育を相当程度実施していたことは認められるが、被告に安全通行設備設置義務があることを前提に考えると、右事実をもつてしても被告において原告がサイドスパーリングを利用して安全に昇降するであろうと期待するのが相当と解するのは、信義則上是認できない。けだし、前認定のようにサイドスパーリングを利用して昇降すること自体かなりの危険性を伴い、利用者に相当の慎重さが要請されるのであるから、使用者がその危険性の判断および転落回避をサイドスパーリングを利用する労働者自身に一任して、他に通行設備を設けずにこれを放置してよいとは到底考えられないからである。従つて、被告に通行設備を設けなかつたことにつき帰責事由はない旨の抗弁は採用できない。

(三)  そうすると、本件転落事故の発生につき原告にも相当程度の過失のあることは後記認定のとおりであるが、右事故の発生自体は、被告が安全通行設備の設置を怠つたことにより、原告が用紙の天端から船底へ伝い降りるという方法を採ることを余儀なくされたことに起因するものであるから、その余の争点について判断するまでもなく、被告は原告を安全に就労せしめなかつた債務不履行により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

三、損害

前掲各証拠によると原告の蒙つた損害は次のように認められる。

(一)  逸失利益  四四二万六〇七円

原告は本件事故により左肘関節脱臼骨折の傷害を受けたものであるが、右傷害にもとづく左肘関節運動障害により、左肘が約九六度に伸展したまま完全硬直に近い後遣症を残し、右障害の程度は労働者災害補償保険八級六号に該当すると判定され、その労働能力喪失率は、港湾労働者である原告の職業、年齢(昭和七年三月二六日生)を加味して考えると、四五パーセントと認めるのが相当であり、これに反する証拠はない。次に、本件事故当時の原告の平均賃金日給額が金一、八三八円であることは当事者間に争いがなく、原告は昭和七年三月二六日生れの健康な男子であつたことが認められ、第一一回生命表によると満三五才の男子の平均余命は35.52年であるから原告が最終に休業補償給付を受給した昭和四三年六月一三日以降少くとも二七年間は原告の受傷前の業務あるいは同種の一般労働業務に従事し前認定程度の収入を得たであろうと推認できる。<証拠>によると門司港における船内作業員の定年は満五八才であると認められるが、満六四才に至るまでは船外作業員あるいは同程度の一般労働業務に就労可能と認定する)。そうすると、原告は本件事故により年間六七万八七〇円の利益を二七年間にわたり失つたものというべく、傷害の場合これから生活費を控除すべきでない。そこでこの利益総額から労働能力喪失による原告の逸失利益をライプニツツ式計算法により年五分の中間利息を控除した現価は左のとおりとなる。

1,838円×365×0.45×14,64303362

=4,420,607円

(二)  過失相殺

前認定の本件事故発生の状況からすると、原告にも本件損害の発生につき五割の割合をもつて過失ありと認められるので、これを右(一)の金額から差引くと、結局、被告の賠償すべき原告の逸失利益は金二二一万三〇三円となる。すなわち、前認定のとおり原告は二メートル以上の高さを用紙の天端から船底へ伝い降りるという方法を採ることを余儀なくされたのであるが、原告自身その危険性を熟知していたのであり、同じ方法によつて下降した同僚作業員は無事船底に到達していること、原告から被告会社の係員に対し通行設備の設置を申出ていないこと、原告は用紙を背面にしていわば滑り降りるような恰好で確実に用紙の端などを把持することを怠つたことなど、諸般の事情を考えあわせると、原告にも事故発生につき相当な過失がある。なお、被告は、原告が受傷後、左肘関節部の暴力的矯正を受けたことが損害の増大につき過失があると主張するが、右暴力的矯正の事実は、原告が受傷部の機能の完全回復を希うの余り物理的療法の一環として医師の指示によつてこれを受けたものであつて、この点につき原告に過失を認めるに足りる証拠はない。

(三)  慰謝料  七〇万円

前認定の諸事情(原告の過失も加味して)から原告の精神的苦痛に対する慰謝料として七〇万円を相当と認める。

(四)  損害のてん補  八二万七、一〇〇円

原告が国から労働者災害補償保険にもとづき金八二万七、一〇〇円の障害補償給付を受領したことは当事者間に争いがなく、右給付の趣旨は労働災害に起因する労働者の労働能力喪失に対して給付されるものと解されるので、右同額は原告の受くべき逸失利益の賠償額から控除されるべきである。

四、よつて、被告は原告に対し、金二〇八万三、二〇三円およびこれに対する記録上明らかな訴状送達の翌日である昭和四五年二月二六日以降支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。従つて、この限度で本訴請求を認容し、その余を棄却するとこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(森永龍彦 寒竹剛 柴田和人)

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